「それどう考えてもマイルドにたかられてるよ」
仲のいい友達にコータ君の話をしたら、開口一番言われたのがこのセリフだ。
自分でもできるだけ考えないようにしていたことだったのに、ずばりと言われてしまった。
今日は火曜日で、図書室で勉強して帰る日――というか、コータ君に会える日というほうが正しいかもしれない。
知り合って、今日で三週間。今のところ、お互い他の用事がぶつかることも、すれ違うことも奇跡的に無くて、週に二回、コータ君に会っている。出会う場所は『ちかん注意!』の看板のある所だ。なんでよりにもよってこんな場所で……なんて思うけれど、贅沢言えた立場じゃないので目をつぶることにする。
毎回、彼はきっちりと家まで送ってくれて、そして私もきっちり奢ってあげている。護衛代の食べ物も、ガリガリ君から、肉まんまたはおでんにシフトした。
時間や季節は着実に変化しているのに、私とコータ君の距離は当初から一ミリたりとも変化なしだ。
「でも面白いし、結構いい人なんだよ。コンビニで何かおごっても、半分こにしてくれるし」
「元はあんたの出したお金でしょ。大体、女を送ってやるのに、見返り求めるなんて最悪」
それは私も最初思ったことだ。真摯な意見が耳が痛い。
「いや、でもね」
「はいはい、好きな人を庇いたい気持ちは分かったから。だまされる女って大抵そういうこと言うよね。あの人はそんな悪い人じゃないって」
「好きとかじゃなくて……確かに好きだけど、いいなあ、って感じのほのぼのした、好きって気持ちなんだよ」
「つまり好きだって事じゃないの」
「違う! 似てるようで微妙に違うんだよ!」
「あーもう分かったよ。そうだね、違うんだね」
「なんて投げやりな……」
「それにしても胡散臭いな、その男、本当に四条の生徒なの? 名前はちゃんと聞いてる?」
「四条の制服着てるし間違いないと思うよ。名前はさっき言ったじゃん。コータ君ていうんだけど」
「だから、上の名前は? 苗字はなんていうの」
「それは……知らない」
「はあ!? じゃあ、相手の連絡先とかは? 携帯番号とか教えてもらってるの?」
「あ、そうそう、それを相談したかったの。携帯持ってると思うけど、まだ番号聞いてないんだよね。いきなり教えてって言うのはストレートすぎるかなー、迷惑がられたりしたら嫌だなあって思ってたらなかなか聞けなくて。こいつ馴れ馴れしすぎ、とか思われないかな。ね、どうやって尋ねれば、さりげないと思う?」
一気に言い終わってから、はたと気付く。
ものすごく生暖かい、哀れみと呆れの混じった視線が私に向けられていた。
今まで私が人を好きになるときは、あの人かっこいい!好き!っていうパターンが多かった。
でもコータ君に対する感情はこれとちょっと違う感じがする。
好き、なのは間違ってない。間延びした声とか。寝癖なのか、妙なところの髪が跳ねてたりするところとか。うれしい事があったとき、とろんとした眠そうな目が、きゅっと細められる瞬間とか。「あ、好きかも」と思うことはあるけど、「もーすごい好き! 大好き!」じゃない。
だからこれは恋とかじゃない――はず、だよね?
放課後、一時間ほど勉強してから外に出ると、それほど遅い時間でもないのに、辺りはもう完全に日が落ちていた。明かりがない場所は数メートル先も見通せないほどに真っ暗だ。最初に出会った場所でコータ君と待ち合わせをして、途中のコンビニで買い物、そして駐車場の車止めに腰掛けて夜のおやつを食べる。これがお決まりのコース。
こうして見ると、なんだか付き合ってるっぽいような、ちょっと期待しちゃいそうな感じもするが、私たちの話題は、肉まんに入っている具やおでんの出汁についてだったり、新製品のお菓子の話だったり、お互いの学校のことだったりして、恋愛やら色気なんていうものはない。これっぽっちもない。
現に今も、コータ君は私の隣で、熱々のおでんに夢中だ。
ウワー寒い。体も心も寒い。マイルドか? これはやっぱりマイルドにたかられてるのか。
なんてことを考えていたのが伝わったのかどうか、おでんをはふはふと頬張っていたコータ君が不意に顔を上げた。
「そういえばこの前、進路調査で担任に将来のこととか聞かれたんだけどさ」
「うん」
「プロテニスプレーヤーって言ったら、真面目に答えろって怒るんだよ。すげー失礼だと思わない?」
「コータ君はプロを目指してるの?」
「ううん、ちょっと言ってみただけ」
「そ、それは、先生も怒りたくなるんじゃないかと」
「そっかなー。無理だと思っても、先生のくせに生徒の夢壊すなよって思ったんだけど」
「うーん……」
コータ君に生返事を返しながら、ちらりと彼のズボンのポケットに目をやった。
クラスの男子は大抵、携帯を後ろのポケットに入れてることが多いのだけれど、コータ君のポケットは何も入っていないのか、まったく膨らんでいない。もしかしたら鞄の中に入れてあるのかもしれないし、それともそもそも持っていないのかもしれない。
――携帯の話題を、自然な感じで振ってみたいんだけど、どうやればいいかなあ。
急に都合が悪くなったときとか、連絡ができた方が絶対良いだろうし、とりあえずそのことを素直に伝えてみようか。
思い切って声をかけようとしたら、コータ君は空の容器を持ってよいしょと腰を上げた。
「ごちそうさま。そろそろ、帰ろ」
「コータ君、あ、ちょっと……!」
ちょっと待って、帰るの待って!
今日こそ、携帯番号教えてもらいたいんだってば。
「ば、ばんごー!」
コータ君のズボンの裾を掴んで、一声叫ぶ。直後、しまったと体を硬直させた。
なんだよ、ばんごって。なに言ってんだ、私は。
「……ばんごー?」
私を見下ろしているコータ君の顔が、ことんと右に傾く。
「いや、あの、番号。携帯の。教えてもらえないかな、と」
ぜんぜんさりげなく聞けてないじゃんか。むしろ必死すぎて痛い。痛すぎる
「駄目かな」
「うん、駄目。やだ」
「ぅえッ!?」
自分の顔から一気に血の気が引いていくのが分かる。コータ君はそんな私を見て、にぃっと歯を見せて笑った。
「ていうのは嘘で、家に忘れてきちゃったんだよね」
くっそー、人の気も知らないで、いい笑顔で笑いやがって。
こっちは心臓が止まるかと思ったんだぞ。冗談でも誇張でもなく。
「俺の番号とアドレス教えるから、篠井さんからメールしてよ。それ登録しとく」
――でも、教えてくれるのなら全部水に流す。流しますよ。
いそいそと鞄に手を突っ込む。だけど、いつも携帯を入れている内側のポケットにはフリスクが入っているだけで、肝心のものが入っていなかった。まさか、と思って鞄を大開にし、隅々まで探してみたけれど、それでもやっぱりないものはない。
「私も、忘れてきたみたい……」
がっくりと大きく肩を落とす。コータ君の前だけれど、もう気持ちを取り繕う余裕も無かった。
「駄目じゃん」
「うん……」
気合入れ過ぎて全部空回りしている。ここが私の部屋だったら、雄叫び上げながら、泣いてるかもしれない。そんな私を覗き込むようにして、コータ君は地面にぺたりとしゃがみ込んだ。
「篠井さん、書くもの持ってる? ボールペンとか」
「持ってるけど」
「じゃあここに、篠井さんの携帯番号とアドレス書いて」
と言って、コータ君は手のひらを差し出した。
「私、メモ帳持ってるよ」
「紙とかに書いたら、俺は絶対失くすっていう自信があるから」
それは一応、失くしたら困ると思ってくれてるってことだろうか。なんて、ムシが良すぎることを考えつつ、
「じゃあ、ちゃっちゃと書くから。コータ君、じっとしててね」
と、少しぶっきらぼうに言って、ペンケースからボールペンを取り出し、コータ君の手を取った。
――あ! これって一応、手を繋いだことになってるよね! 繋いじゃってるよね!?
大騒ぎしたい気持ちはぐっと抑えて、書くことに集中する。他人の皮膚に直接文字を書くのは、やってみるとなかなか難しい。読めないとか文句を言われないように、できるだけ丁寧に書いていたらコータ君がくふくふと不思議な笑い声を上げた。
「くすぐったい」
そう言ったコータ君の顔がすごく近い。頬が一気に熱くなる。
慌ててコータ君の手を離し、ペンをしまう振りをして顔を伏せた。
「はい、ちゃんと書いたよ」
最後の方の文字がめちゃくちゃになっているかも、読めないかもしれない。それ以上に心配なのが、意識してるのがバレバレかもしれないってことなんだけど――
「んー……篠井さんって結構、字下手だね」
コータ君は手を宙にかざすようにして見てから、ぽつりとそうこぼした。
――ばれてなさそうだ、これは。
つーか、すごく気を使ったのに、心臓飛び出そうなくらいドキドキしたのに、下手って! あんまりだ!
「書いた場所が手だったからだよ。紙だったらもっとマシな字書くよ!?」
「ちょっとした冗談なのにー。篠井さん、必死すぎ」
鼻息を荒くする私を見て、コータ君が意地悪くシシシと笑う。
「でも、やっと普通に戻ったってかんじ」
「普通? 戻る?」
「あー、自覚無かったの? なんか今日ずっと変だったけど。よそよそしいって言うか、作ってるって言うか、興奮してるって言うか、正直気持ち悪いって言うか」
「き……気持ち悪い……!」
「たとえ、例え話」
「でも今、『気持ち悪い』の前に『正直』ってつけてたよね?」
「気にしない、気にしない」
「そんな満面の笑顔で言われてもね……」
コータ君の言ったとおり、気にしなけりゃいいだけのこと。冗談きついな、と笑い飛ばせばいいだけのこと。いつもは簡単にできるはずのこと。だけど今日はそれがどうしてもできなくて、気持ちは際限なく沈みっぱなしだ。
コンビニから家までの帰り道もずっと気落ちしたままで、コータ君が話しかけてくれたことは全部上の空だった。
「うちに帰ったら、メールするよ」
別れ際、コータ君はアドレスの書いてある手を、ひらひらと私の目の前で振って見せた。
こうして見ると、自分の字は確かにコータ君の言ったとおり下手くそだ。書き直させてください、と頼みたいほど、へにゃりと歪んでいる。けれど、そのあまりのへたれっぷりがおかしくて、ちょっとだけ、気持ちが浮上した。
「うん、待ってるよ」
にへらっと笑って、ばいばい、とコータ君に手を振りかえした。
家に入るなり、ただいまの挨拶もそこそこに自分の部屋に直行して、机の上置きっ放しになっている携帯を手にとった。
着信はあったけれど、それは全部友達からのものだった。今別れたばかりなんだから当然コータ君からのメールが入ってるわけがない。何をやっているのかと、自分の行動がなんだか恥ずかしくなった。
うちからコータ君の家まで何分ぐらいかかるんだろう、なんて思いながら、ちらりと時計に目を走らせる。そもそも、帰ってからすぐメールしてくれるとは限らないわけだ。ご飯食べてからかもしれないし、お風呂入ってからかもしれない。寝る前って意味だったのかもしれない。
制服から部屋着に着替え、夕ご飯の時間まで雑誌でも読もうかな、とベッドの上にごろんと横になりつつ再度時計に目をやると、さっき見た時からまだ五分も経過していなかった。
……この勢いだと、メールが来るまで一睡もできなさそう。本気で徹夜してしまいそうなんだけど。
ベッドの上でごろごろ転がったり、部屋の中をぐるぐる歩き回りつつ、たまに新着問い合わせなんかしてみたりして。これじゃあストーカーだよ、と思い始めた四回目の新着問い合わせで、初めて携帯に反応があった。
アドレスは登録していない見知らぬ人のもの。けれど件名が「航太」となっているのを見て、ぐわっと携帯の液晶に食らいついた。
コータ君で、まちがいない、と思う。
ちゃんと忘れずにメールしてくれたんだ。そうかー、コータ君の名前はこういう漢字なのかー、と思わずにやにや笑いが浮かんできてしまう。嬉しさと喜びで思わず悲鳴を上げそうになって、ふと本文を目にし、私は大口を開けたままぴたりと固まった。
本文にあったのは、たった四つの文字。
『おやすい』
コータ君、これは……?
素直に「おやすみ」の変換ミスと受け取っていいのか。それとも、メールぐらいで大喜びしている私を見越しての「お安い」という皮肉なのか。無邪気に邪気が溢れてそうなコータ君だから、その可能性もゼロとは言い切れないような。そもそも普通に考えて、まだ寝る時間じゃないはず、いくらなんでも早すぎだ。返信しようにも、「おやすみ」で返していいのか、どうか。
メールが来ないときは来ないときで散々悩まされてたのに、着たら着たで、またさらに悩まされるなんて。
とりあえず、どうしたらいいの、これ。