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「染井先生」
 室内を見渡してきょとんとしている先生に精一杯の作り笑いを浮かべると、何も疑っていないような笑顔が返ってきた。最近影を潜めつつある良心に、ずしんと響く表情だ。
「ええと、どうかしましたか?」
「さっき、山田先生から聞いたんだけど、剣道部と美術部の部室が荒らされてたんだって。この教室も朝来たとき鍵開いてたから、もしかしてと思って」
 言いながら、染井先生は拓海君と鈴村を見て、首をかしげた。
「でも、湯川と鈴村はどうしてここに?」
「俺たちも、その件でここに来てたんですよ」
 と、拓海君が絶妙のタイミングで先生の言葉を引き継いだ。
「他に被害はないか、今日来てる部を見て回ってるところなんです。だよね、上原さん」
「う、うん。そう、なんです。ちょうどその話をしてたところで……うちは被害はなかったですよ。やっぱり私の鍵の閉め忘れだったみたいです」
「そっか。良かった、心配でちょっとドキドキしてたんだよ。手のひらに汗かいちゃった」
 先生は照れ笑いを浮かべつつ、こちら向かって両方の手のひらを開いて見せた。
 ――なんなんだこの可愛いひとは。
 つか、顔が整ってる染井先生だからから許される振る舞いで、普通の、例えば現国の川上とかがやったら、「なにこの先生キモ!」で一刀両断される仕草だと思う。美形ってつくづく得だな、なんてついついくだらないことを考えてしまった。
「じゃあそのことは良しとして……上原、今日何か作る予定なの?」
「あ、ハイ、白玉団子とか作って、先生達に持っていこうかなあ、なんて思っていたんですが」
「本当? 俺、団子系好きなんだあー」
 微笑みつつ、柔らかな口調でこんなこと言われたら、お世辞やその場限りの言葉だとしても信じてしまいたくなるってものじゃない。これが拓海君の言うように演技だとしてもいい、むしろ敢えて騙されてもいいかもしれない。ふわあ、ほわあ、と頭の中が花畑になりかけたけれど、調理台に飛び散った餡の粉が目に入って、現実に引き戻された。
「先生、それがその、駄目になってしまいまして……」
「え。どうしたの?」
 答えるまでの一瞬の間、その瞬間、確かに空気に緊張が走った、と思う。主に私と鈴村の間で。もしかしたら拓海君も入っていたかも。
 鈴村が食べたせいです、と真実を口にするのは簡単なことだ。でも実際に食べてる現場を目にしない限り先生だって信じないだろうし、それになにより、それだけはやっちゃいけない気がした。
「……私の不注意で、餡の入った袋、床に落としちゃったんですよねー」
 ほぼ空になった紙袋を手にして、ばさばさと振って見せると、私の話をまるきり全部信じたらしい先生は残念そうに声を漏らした。
「うわ、もったいないことしちゃったね。中身全部駄目になったの?」
「封を開けてたから、ばっさーと中身がでちゃって。材料もこれしか残っていないから、もう何も作れなくなっちゃったんです」
 今回のは借しということで、いつか返してもらうからね――という意味を込めて、なおも背を向けている鈴村の足に軽く蹴りを入れてやった。もちろん、染井先生の位置からは見えないことを知った上でだ。ただし、拓海君の位置からは丸見えだったらしくて、顔を背けて軽くせき払いをするその口元がわずかにニヤついていた。笑ってる場合かコラ、あんたの女房役の問題なんだぞ。
 あっちも蹴り飛ばしてやりたいけど、とりあえず染井先生の相手をする方が優先だ。
「先生には、休みの日にわざわざ出て来てもらったのに……すみません」
 ぱちんと両手を合わせてから頭を下げた。せっかくの休日だってのに、先生には完全に無駄足踏ませちゃったわけだから、本心から申し訳ないと思う。
「帰りに買出し行って、月曜日には準備万端にしておきますから! あの、本当すみませんでした!」
「それならさ上原、俺が帰り車で送っていこうか」
「え?」
 勢いよく頭を上げると、先生は笑顔で駐車場のある方向を指差した。
「買出しの荷物、重くなるよね? スーパー寄って、それから上原の家まで送っていくよ」
「ホントですか? 嬉しい! 助かりますー!」
 やった、と小さくガッツポーズを作る。
 買出し自体はわりと楽しいんだけど、その買った荷物を持ち運ぶのが厄介なんだ。重いし面倒だし、なにより指に食い込むビニール袋が生活に疲れた主婦って感じで……ふと我に返った瞬間、その手に付いた痕を見ると、無性に切なくなるんだよね。
 せっかくの申し出なんだから、先生の気の変わらないうちにさっさと片付けてしまわないと。
 拓海君に「早く出て行け」という視線を送り、続いて鈴村にも――と振り返ったところで、ぴたりと体が硬直した。視線の先にある鈴村の表情がまったくなくて、文字通り完璧な無表情だったからだ。
 眉間に皺を寄せているわけじゃない、睨んでいるわけでもない。表情は無いのに、怒っている雰囲気は感じる。それに室内の空気が固いというか、強張っているというか、制服から露出している肌がぴりぴりと痛むような感触がした。部室荒らしの一報が入ったときも怖いと思ったけど、今はそれ以上だ。
「教師が個人的に生徒を送っていくのは、問題あるんじゃないですか」
 険を含んだ声音で鈴村が言った。
 ん? と先生は小首をかしげている。
 鈴村のこの態度に、いつもと変わらない様子で接する先生もすごい。大人の度量か、単に空気が読めていないのか。私の胃はキリキリし始めているっていうのに。
「先生が、たとえ善意から言っているのだとしても、世間もそう判断するとは限らないでしょう。むしろ好き勝手な噂を流される可能性が高いのでは? 最近、その手の事件も多いことですし、万が一教育委員会に報告でもされたら、最悪、職を失うことになるかもしれない」
 確認するように一呼吸置いてから、鈴村は言った。
「軽率な行動は控えた方がいいですよ、染井先生」
 最後の一言は、忠告というより嫌味に近い口調だ。本人には決してそういうつもりはなかったのかもしれないけど、私の耳にはそう風に聞こえた。
「べつに、顧問と、その生徒だし。こっちが堂々としてれば、問題ないんじゃないの?」
 怖いという思いもあったけれど、それ以上に鈴村の態度に腹が立って思わず口を挟んでしまった。
 すると、「甘い、甘い」と拓海君が手をひらひらと振って否定した。
「1を100にしちゃうのが、噂ってものだよ」
 反論の言葉が浮かんでこずに、うぐぐ、と口の中で唸る。なんとか言い返したいけど、言ってることは当たっているんだよね、悔しいことに。
 先生は何か言うことないの? という視線を送ってみると、意外なことに微笑が返って来た。
「確かに、鈴村の言うとおりだな。ちょっと考えなしだった」
 うんうん、と染井先生は頷いて、仕切りなおしとばかりに手を数回叩いた。
「じゃあ車で送るのはナシ。上原ゴメンな」
 ぺこりと素直に頭を下げられて、しかも格好いい部類に入る顔で謝られて、それで怒る女子がいるだろうか。いや、いない――はず。少なくともここにいないのは確かだ。
「とんでもないです! そんな、先生が謝らなくても」
 と、大げさな仕草で両手を振り回した私は、確実に優しい美形に弱い女だ。
「平気、ですよ? もともと日曜に買出し行く予定だったんです。それにカート持って行けば、荷物が多少重くても運べるし」
 手のひら返したように、にこにこと応じてしまう自分ってどうなんだろうと思いつつ、それでもやっぱりえへらえへらと笑ってしまう。鈴村の厳しい視線と拓海君の生暖かい表情は、この際無視だ。
「そう、じゃあ、材料ないなら、上原はこのまま帰る予定? だったら後片付けだけでも手伝うよ」
「――じゃあ、俺達はここで失礼します」
 素っ気無い声に振り返ってみれば、鈴村はこちらを見向きもせずに教室から出て行くところだった。
 ちょっと、あんまりじゃない?
 後に続く拓海君を睨む。それに気付いた拓海君は、なんだか嫌な感じの苦笑いを残して、一応頭を下げてからぴしゃりと後ろ手で扉を閉めていった。

 二人が出て行った扉を、唖然として見つめていると、先生がくるりとこちらを振り返ってきた。
 さすがに怒るかな、怒るよな、あんな失礼な態度じゃあ。
 身構えていた私の目の前で、先生は実に晴れやか、且つ、爽やかな笑顔を見せた。
「じゃ、さっさと片付けちゃおうか」
 呆気に取られて、ぽかんと口を開ける。相当な間抜け面を晒してしまったと思う。だけど、そんな私に構わず、先生はてきぱきと室内の窓の戸締りをし始めた。さすがに先生だけに片づけをやらせるわけにもいかないので、釈然としない想いのまま、私もホウキとちりとりを取り出して床に散らばった粉を掃き集めた。
 ――先生って心が広いんじゃなくて、悪い意味での天然ボケなんじゃないの?
 ちりとりのゴミを捨てるフリをしながら、先生の様子を覗き見る。こちらからは後姿しか見えないけれど、きちんと鍵を点検している様子はいつもと変わらないように思えた。
 鈴村の馬鹿に嫌味の一つでも言ってやりたい気分だったのに。なのに、そんな大人な態度取られたら黙るしかないじゃない。もし口にしたら、私がすごく自制の利かない子供みたいになってしまう。
 まあ、こんな風にふて腐れてる時点で十分お子様なんだけどさ。
「うえはらー、そっちの片付け終わった?」
 と、先生が鍵を掲げてチャリチャリと鳴らした。
「もう終わったならここ閉めちゃっていい?」
「あ、ハイ。手伝ってもらってすみません」
 急いでホウキとちりとりを片付けて、鞄を持って先生の所に駆けつける。
 先生が扉に鍵をかけるのを見届けて、その場で「それじゃあね」「はいさようなら」と挨拶をし、ごく普通に別れた。
 休日出勤になった上に、年下の奴から偉そうに説教されたりしたのだから、愚痴のひとつぐらいこぼしてもいいのに、最後までそういうのは無し。先生はやっぱりいつもと変わりない、のほほんとした様子だった。
 なんとなく――じゃなくて、ぜんぜん納得出来ない、釈然としない気分。でも私の考え方の方が間違ってるんだろうなあ、お子様なんだろうなあ、なんて考えながら廊下を歩いていると、先生が小走りで追いかけてきた。言い忘れたことでもあったんだろうか、と首を傾げると、先生も同じように首を傾げた。
「先生?」
「うん、じゃあ行こうか」
「あ、下駄箱まで?」
「いや買出しに」
 ――うん? と思わず足を止める。
「でも、さっき鈴村の話、納得したって先生……」
「鈴村的には、車内っていう密室で二人きりなのがまずいってことなんだから、歩いて帰れば問題クリアだよね」
 にっこりと笑顔を浮かべて言う先生の背後に、一瞬花々が舞って見えた。
 そんな錯覚が見えるくらい、年齢にそぐわない、可愛い表情だったってことなんだけど、私はといえば素直に笑い返せなかった。それどころか数歩あとずさったくらいだ。
 なにごとですか、この有無を言わさぬような迫力は。
「だけど車は? 車はどうするんですか」
「日曜に車使う予定ないし、置いていくよ。学校の駐車場だからお金かからないし。それにたまには電車通勤もいいよね?」
 疑問系なのに尋ねられてる感がぜんぜんしない。
「……先生、実は怒ってる?」
「さて、どうでしょう」
 問い返されたけれど、返す言葉がなくて口ごもってしまう。
 あの笑顔の下で実はものすごく怒っている、と考えると、染井先生ってちょっと怖い人? ってことになってしまう。これじゃ拓海君の言ったとおりになっちゃうじゃないの。
 ――それはかなり癪だ。やっぱり私の勘違いだな。そう考えよう。
「じゃあ行こうか?」
 自分の中で「白」と結論付けたわりには、促されて、思わずブンブンと勢い良く首を縦に振ってしまった。

 不穏な予感に少々ビクついていたけれど、染井先生は歩道側を歩かせてくれたり、いろいろ話しかけてくれたり、常時気を配ってくれるものだから、だんだんと気分が上向きになっていき、食料品店に到着したころには、少しだけ残っていた疑惑の感情も全て吹き飛んでいた。
 頭の中で考えてたレシピと現実の材料費とを比べて、予算内に収まりが付かないか考えて、これは駄目だからああやって――いろいろ考えるだけで、私の低いスペックの脳みそは限界ぎりぎりになってしまう。それに加えて、先生自らカート押しの役をかって出てくれた上に、黙って後から付いて来てくれるものだから、私は買いたいものをカートに放り込むだけでよかった。
 そうやって鼻息荒く売り場をねり歩いていたのだけれど、黄色い紙に赤字で書かれたPOPの前でぴたりと足を止めた。というか、止まってしまった。
『業務用ゼリーミックス特売中!!』
 ――なんというお買い得。
 中に缶詰のフルーツとか入れて量を増やせば、あのポリバケツサイズで3回分くらいは作れそうだし、味を変えればバリエーションがきくかも。鈴村用のおやつにぴったりだ。
 でも、プリンミックスで文句言ってたから、これも絶対ぶーぶー言うだろうな。味わったりしないくせに、味覚が妙に鋭いところが嫌らしすぎる。さっきの態度にしても本当嫌味で――あー、思い出したらまた腹立ってきた。もっと安物の品質の悪い奴にしてやろうかな。どうせ飲み込むだけなんだから。
 商品を鈴村に見立てて、睨みながらぶつぶつ恨み言を呟いていたら、
「上原、それも買うの?」
 と、先生に声をかけられた。
 しまった、そういや先生の存在をすっかり忘れてた。
「え、いえ……どうしよかなって……」
「予算的にはまだ大丈夫そうだから、それ買っちゃえば?」
 どうやら予算的な問題で買おうか買うまいか、悩んでいると思ったらしい。私が文句を言っていたのは聞こえていなかったみたいだ。セーフセーフ! と心の中で連呼する。そして外面では、誤魔化し笑いを浮かべた。
「うん、調理部でこういうの使うの邪道かもって考えてたりしたんですけど、大人数に配るときなんかはやっぱりこういうのが手軽でいいかもしれないですよねー」
 聞かれてもいない言い訳をしつつ、ゼリーミックスの袋を棚から持ち上げると、思っていたよりもかなり重くて腕にずしりと響いた。
 ――どうせ鈴村相手に気を配ったって、あの見下したような目線で一瞥されて終わりなんだけどさ。
 すごく、惨めな気分になる。むしゃくしゃして、八つ当たり気味に袋をカートの中に放り込んだ。

 結局、全ての買い物が終わってみれば、満載のナイロン袋5つ出来上がっていた。先生が特に重い3つを持ってくれたから、私の両腕には一つずつ荷物がぶら下がっている。なかなか腕に響くけど、買いたいものはほぼ買えたから満足して店を出た。
 とりあえず一仕事終了だと、ほっとする。途端、今更ながら染井先生を連れまわしていたことに気付いて愕然となった。
 しかも、かなりこき使ったよな……
 ドキドキしながら、先生を見ると、こき使われた割にはかなり機嫌がよさそうに見えた。先生の場合いつも笑顔なイメージしかないけど、今は鼻歌でも歌い出しそうなかんじだ。
「買い物好きなんですか? 先生」
「嫌いではないけど、特に好きってわけでもないかな。でも、どうして?」
「だって楽しそうに見えるから」
 答えると、先生は視線を空に向けてから、ううん、と口の中で呟いた。
「俺、むかし体が弱くてね、中学、高校と部活に入れなかったんだよ」
 思わずまじまじと先生を見つめてしまった。そういわれてみれば、肌の色なんて私よりも色白だし、全体的にほっそりしてるし、薄幸の美少年的な面影はあるかも。
「文化部でも駄目だったんですか」
「そ。文芸部とか英語部とか、絶対に体力使わなさそうな部でも駄目って言われてて。だから県大会や文化祭なんかで各部が盛り上がってるの、すごい羨ましくてさ」
 そこでまで言ってから、先生はいたずらっこのような表情で肩をすくめた。
「上原にはほんっとーに悪いと思うけど、今の廃部騒動って『俺は部活動やってるんだー』って実感できるから、ちょっとワクワクしてる」
「楽しむのはいいですけどね、廃部になったらシャレにならないですよ……」
「んー、だからごめん」
 くすくすと笑う先生の様子からして、あまり悪いとは思っていなさそう。本当にこの状況を楽しんでいるみたいで、怒る気もなくなってしまう。むしろ、ここで許さなかったらこっちが極悪人みたいだ。
「まあ……いいです」
 とりあえず手伝ってくれているのだから、反論の口は閉じておくことにした。先生の人柄的についつい気軽に言い返したくなるけど、あんまり馴れ馴れしいと、「なんだこいつ調子乗りすぎ」って思われるかもしれないし。
 その後は無難な会話を選びつつ、駅までの道のりを先生と歩いた。
 駅前のバスターミナルが見えてきたところで、先生を見上げると、なに? という顔でこっちを見返してくる。電車で帰るつもりならここでお別れなんだけど、なんだこの不思議顔は。
「先生、駅。ほら電車」
「うん」
 うん、じゃなくてさ。そうじゃなくて。
「ここまででいいです、手伝ってもらってありがとうございました」
 わざと強めの口調で言って、荷物を引き取ろうと両手を差し出すと、逆に先生はすっと手を引いた。
「でも上原の家まで、まだ結構距離あったよね?」
「大丈夫です、バス乗っちゃえば、家のすぐ近くまでいけるんで」
 言って、バス乗り場を指差すと、先生はにっこり笑って、ビニール袋を持ち直した。
「じゃあバスが来るまで、一緒に待ってるよ」
 気圧された。
 圧倒的な笑顔に、圧された。もうノリで笑い返すしかない。これは先生の優しさなんだ、と思い込みの力をフル稼働する。優しいんだ、優しいんだよ先生は。私が邪推してるだけ。拓海君に変なこと吹き込まれたせいで変な方向に想像力が働いちゃうんだ。はい結論出た。やっぱりあの男が一番悪い。
 自分の中で出した答えに満足しつつ時刻表を見てみると、次のバスまではあと5分ほどだった。これぐらいの時間なら、好意に素直に甘えてもずうずうしくないかもしれない。荷物受け取るために差し出したままになっていた手を引っ込めて、ついで自分の荷物を持ち直し、ふう、とひと息ついた。
 お昼を少し過ぎたくらいの中途半端な時間のせいか、乗り場には私と先生以外に人がいなかった。他の路線の乗り場には結構人がいるのに、ここは二人だけ。それを意識した途端、なんだか急にそわそわ落ち着かない気分になってしまう。こっそりと横目で先生の様子のぞき見ると、ひっきりなく出たり入ったりしているバスをぼんやりと見つめていた。
 本かなにかで読んだけど、こういう沈黙が耐えられないのって、芸人体質なんだっけ?
 いい話題がないかと頭をめぐらしてみても、さっぱりなにも浮かんでこない。いや、本当はひとつ浮かんでるんだけど、下手すると地雷っぽいんだよなー。うーん、どうしよ。このまま沈黙が続くのは厳しいし、言っちゃおうか。
「……先生あのね、話を蒸し返すようで何なんですけど」
「ん?」
「鈴村のこと。先生、やっぱり怒ってたんじゃない?」
「さて、どうでしょう」
 間髪いれずに返される。つか、またそれですか。
 口をへの字に結ぶと、笑われてしまった。すごく、適度にあしらわれてる感がする。やだやだ、大人って。そっぽを向いてむくれていたら、頭上から声が振ってきた。
「あ、噂をすれば」
 ――鈴村!?
 ぎょっとして、即座に辺りを見渡す。近くにいたのかと思ったのだけれど、雑踏の中にその姿は見当たらない。念を入れて、目を凝らしてみても、やっぱり見つけることは出来なかった。
 当惑して先生を見ると、先生も私と同じような表情を浮かべていた。
「もしかして上原、知らないの?」
 たしか、先生からは、同じようなセリフを前にも言われたような覚えが。
 そうそう、あの時は廃部宣言という衝撃的な事実を告げられたんだ。前のこともあるし、この先の話を聞いちゃまずいような……とてつもなく嫌な予感がするんだけど。
「先生、そろそろバスが来るから、もう待ってなくてい――」
「ほら、上原あれ」
 言葉の途中で先生が前方を指差す。それにつられて、つい目をやってしまった。駅ビルと雑居ビルの合間からのぞく大きな建物、そしてそこに掲げられている看板を読み上げる。
「……六堂寺総合病院?」
 そこにあるのは、鈴村でもなく、人でもなく、区で一番大きな病院の建物だった。拍子抜けして、
「はあ?」
 と、心の声が出てしまう。
「先生の言ってるのって、あの病院のことですよね? そういや、外科と内科の先生が格好いいって、母がよく騒いでますよー。けど、それがなにか」
「鈴村の家の経営なんだけど」
 両手に抱えていた荷物が手のひらから離れ、地面に落ちて、どしゃりと音を立てた。
 絶対何か潰れた。けどそんなことに構っている心の余裕がない。
 これでもかというほど目を見開いて、先生を見、次に巨大な病院の建物を見て、もう一度先生を見る。そうしたら、無言で数回頷かれてから、同情されてるような、可哀想なものをみるような、そして慈愛に溢れた視線を向けられた。
 その時、ちょうど待っていたバスが到着したのだけれど、大口を開けて固まってしまっていたせいで、見事なまでに乗り過ごしてしまった。
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